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山陰万葉巡り

ご紹介

「山陰万葉を歩く会」会長の川島芙美子さんの「山陰万葉巡り」をご紹介いたします。
 
☆川島芙美子さんプロフィール☆
奈良女子大学文学部国文学科卒業、島根大学大学院修士課程修了。
島根県立高校教員を経て、現在、NPO法人出雲学研究所会員。
「山陰万葉を歩く会」会長
「神々の国しまね実行委員会」アドバイザー
「風土記を訪ねる会」代表
著書『石見の人麻呂さん』ほか多数。

【山陰万葉巡り】

 山陰の特徴は、環日本海の中心であるということである。その重要性は、現代も古代も変わりがない。いや、古代においては、日本の最重要地点であったと考えられる。古代における航海交通は、現代の高速道路ともいえる。特に、日本が国として独自の歩みを確立し、東アジアにおいて重要な位置を占める時代においては、対外的情報・技術・産物等の輸入のメッカとなる港が、石見(いわみ)・出雲(いずも)・伯耆(ほうき)・因幡(いなば)には存在し、中央からみても注目すべき国々であった。
 そう考えると、偶然ではなく、必然性として中央から然るべき国司(こくし)(国を治める役人)が派遣されていた。その象徴として、石見国は柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)、出雲国には門部王(かどべのおおきみ)、伯耆国には山上憶良(やまのうえのおくら)、因幡国には大伴家持(おおとものやかもち)の存在がある。この4人は万葉集でも有名な歌人である。
 万葉集とは、現存する最古の歌集で、5世紀頃の仁徳(にんとく)天皇(東アジア最大の古墳に眠るといわれる)の后、磐姫(いわのひめ)の歌から始まり、万葉集の編者とされる大伴家持の新年を寿(ことほ)ぐ歌(759年)までの450年間、4500首ほどの歌が載る。
 防人(さきもり)として九州警備の兵士や、仕事をする民の歌もあり、古代の人々の生きることへの真摯な心が伝わる歌集である。
 山陰の風土、石見・出雲・伯耆・因幡のもつ豊かさと、そこを舞台とした人間模様が感じとれる歌が残っており、それを読みながら旅をしていただくと、古代へのロマンなど様々な興味は尽きない。

石見と柿本人麻呂

 天智天皇2年(663)朝鮮半島で白村江(はくすきのえ)の戦いがあり、百済(くだら)の滅亡後、天武天皇元年(672)国内では国を二分する壬申(じんしん)の乱が起こる。天武天皇を中心とした律令制による国家建設が始まり、和銅3年(710)には中国の長安と同じような都が奈良に建設され、その後100年ほどの間に、日本国家としての独立と安定が図られる。
 この時代を背景に、山陰の重要性はますます高まる。この時期、680年~700年の間に中央で大活躍をした柿本人麻呂が、石見に国司として赴任し、万葉集中、最高の歌とされる、石見相聞歌(いわみそうもんか)を作る。国司とは、中央から派遣された役人のことであるが、柿本人麻呂の場合は、石見で誕生したとの伝承もあり、最後は石見で臨終を迎えたともされる。もちろん臨終の歌も残っている。役人であるので、石見国内を巡視して歩いたことは十分考えられ、各地に現在も人麻呂神社を残している。全国で300社近いといわれるが、その総社(高津柿本神社)が益田市にあり、特に山口県には200社近くあるといわれる。「紙漉重宝記(かみすきちょうほうき)(寛政10年(1798)刊)」では、手すき紙技術を教えたとされ、また、木製具や製鉄技術にも関わったと考えられている。
 相聞歌とは恋歌の意味で、石見の妻と別れるに当たっての恋の表現は、長歌でありながら、対句表現あり、独自の表現あり、石見を盛り込む壮大さありで、他の追随を許さない。
「柿本朝臣人麻呂、石見国(いわみのくに)より妻に別れて上り来りし時の歌二首並びに短歌『石見の海 角(つの)の浦廻(うらみ)を浦なしと 人こそ見らめ 潟(かた)なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも いさな取り 海邊(うみべ)をさして 和多豆(わたづ)の荒磯(ありそ)のうへに か青なる 玉藻(たまも)沖つ藻 朝羽振(はふ)る 風こそ寄らめ 夕羽振る 波こそ来寄れ 波のむたかよりかくより 玉藻(たまも)なす 寄(よ)り寝(ね)し妹(いも)を 露霜(つゆじも)の 置きてし来(く)れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに 萬(よろず)たび かへりみすれど いや遠(とほ)に 里は放(さか)りぬ いや高に 山も越え来(き)ぬ 夏草の 思い萎(しな)えて 偲(しの)ふらむ 妹が門(かど)見む 靡(なび)けこの山』」
大崎鼻から見た高角山(江津市)
 「玉藻なす 寄り寝し妹」―青々と日本海に伸びる藻、波に揺れる藻、それは長い黒髪のすらっとしたあの娘。俺の言うままに寄り添って寝たあの娘をイメージし、別れるに当たっては「靡(なび)けこの山」と歌い、「あの娘の門の前に萎(しお)れながらも立つ姿が見たい、山よ、どいてくれ!」と叫ぶ。
 この相聞歌の情景が一望できる場所が石見にはあり、至る所で人々が「人麻呂さん」と親しむ場所が感じられる。

出雲と門部王

 出雲は「古事記(こじき)(和銅5年(712))」の舞台にもなり、「出雲国風土記(いずものくにふどき)(天平5年(733))」(全国で唯一完本として残る)が描く国でもある。中央との結びつきが古代から考えられ、入海(いりうみ)(神西湖(じんざいこ)・宍道湖(しんじこ)・中海(なかうみ))を持つ豊かさもある。
 門部王も国司として出雲に赴任し、万葉集に歌を残す。天武天皇の曾孫に当たり、中央での地位も高く、力もあったと考えられる人物である。人麻呂が国造り前夜に生きたとすれば、門部王は奈良期始め、風土記が作られる頃に出雲に赴任し、出雲の国をより豊かにし、その地の娘に恋をし、歌を作っている。「出雲国風土記」を見ると、いかに出雲の国が豊かだったかが詳しくわかる。この本も見ながら、門部王になったつもりで歩いていただきたい。
出雲国府跡(島根県教育委員会提供)
「飫宇(おう)の海の河原の千鳥 汝(な)が鳴けば わが佐保川(さほがわ)の思ほゆらくに」 「飫宇(おう)の海の潮干(しおひ)の潟(かた)の片思(かたもい)に 思ひや行かむ道の長道(ながて)を」
 この2首は、中海と国庁跡周辺を歌っている。当時の奈良やその行き来の旅のようすや中央とのつながりに思いをはせることができる。

伯耆と山上憶良

 伯耆の国は、なぜか古代において神社の少ない国である。「延喜式(えんぎしき)(延長5(927))」では、6社しかない。その代わり、7世紀からの寺が多く、それも山陰の寺院の中心となりそうな大きな寺が多い。それの意味するものは謎であるが、伯耆の国の万葉歌人は、山上憶良である。山上憶良は、大伴旅人と並んで、奈良中期に大活躍をした歌人である。伯耆の国司としては、2代目とされ、遣唐使としても壮年に中国に行っているので、海外の情報通であり、当時の中国語にも堪能であり、仏教にも精通していた。90首に近い万葉歌も仏教色が強い。
斎尾廃寺跡
特に「貧窮問答歌(ひんきゅうもんどうか)」が有名であるが、その舞台として考えられるのが、伯耆の国の冬の情景である。今も伯耆に残る壮大な白鳳(はくほう)期の寺院跡(大御堂廃寺跡(おおみどうはいじあと)・斎尾廃寺跡(さいのおはいじあと)等)や国庁跡周辺をぜひ散策していただきたい。

因幡と大伴家持

 因幡の国は、畿内(きない)に最も近く、今も智頭(ちず)急行が走るように、古代道もそこに発達していた。
 因幡は交通が便利であり、早くから発展した豊かな国である。大伴家持は、大宰府(だざいふ)長官の大伴旅人の子で、筑紫に居たこともあり、越中国の国司でもあり、因幡の国司でもあった。大伴氏は「古事記の神代編」にも載る名門の家柄であるが、奈良末期には少し力が衰えていた。そういう状況の中で、家持は一族の長として活躍し、万葉集の編纂も成し遂げたとされる。
因幡万葉歴史博物館(鳥取市)
万葉集最終歌であり、因幡国庁で作られた「新(あたら)しき年の始(はじめ)の初春(はつはる)の 今日ふる雪のいや重(し)け吉事(よごと)」には、大伴家持の万感の思いがこもり、万葉集を象徴する歌ともいえる。
 因幡の国をこの歌を口ずさみながら歩いてごらんになるのも一興かと思う。

長門と万葉集

角島の万葉歌碑
 柿本人麻呂で述べたように、長門には人麻呂社が200社近く在ったといわれている。山陰で最も朝鮮半島に近く、最重要地域である。その西端にあるのが下関の特牛(とっこい)漁港から2㎞北の角島(つのしま)である。「角島の迫門(せと)の稚海藻(わかめ)は人のむた荒かりしかどわがむたは和海藻(にぎめ)」
 俺にだけはなびくぜと恋歌に詠みながら、万葉集は重要地点を記録として残す。
                        川島芙美子
※写真・・・上から順に
大崎鼻から見た高角山(江津市)
出雲国府跡(島根県教育委員会提供)
斎尾廃寺跡
因幡万葉歴史館(鳥取市)
角島の万葉歌碑
万葉公園
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島根県益田市高津町イ2402-1
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FAX.0856-22-2166

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万葉の丘エリア(万葉文化)
・和風野外音楽堂
・和風休憩所
・万葉植物園
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・やすらぎの家
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まほろばの丘エリア(歴史・文化)
・まほろばの園
・人麻呂展望広場
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望月の丘エリア(宿泊・便益施設)
・管理センター
・オートキャンプ場
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その他
・駐車場
・トイレ
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